こんにちは、

穀蔵院ひょっと斎です。



先日、

元格闘家、須藤元気の

「幸福論」という本を読みました。


その中にあった

坂本竜馬の話に大変共感したので、

シェアしたいと思います。


今回のは、ちょっと私の回顧録的なお話です。



――― ここから私の共感した部分 ―――



江戸の三大道場の一つ、

千葉道場の塾頭を務めていたほどの

剣の達人である坂本竜馬の言葉に


「剣術なんて、勝っても愚劣、負けても愚劣。

 こんなものに100年明け暮れても世も国も善くはならない」


というのがある。



格闘家として考えさせられる言葉である。

この言葉の持つ意味、それはそのまま自分にはね返ってくる。



「格闘なんて、勝っても愚劣、負けても愚劣。」

試合をして、その勝敗に一喜一憂する。


それでも一か月もたてば

その興奮はすぐに風化してしまう。


僕が誰と戦うか、そしてその勝敗が

その人の人生にどんな影響を与えるのか。


そこにどんな意味があるのか。

ついそんなことを考えてしまう。




坂本竜馬にはこんなエピソードがある。


竜馬がある日、

「これからは刀より鉄砲の時代だ。」

と剣を捨て鉄砲を持ち始める。


武士の魂である刀を捨て、

これからは鉄砲の時代だと、

合理的に考えるなんてなかなかできないと思う。


弱い人間が言うのならわかる。

しかし彼は剣の達人である。



この話にはまだ続きがある。

竜馬に感化された同士の檜垣清治は

自らもピストルを持つようになる。


再び竜馬に会った檜垣はこう言われる。


「いや、もはやピストルの時代ではない。

これからはこれだよ。」

といって竜馬は

『万国公法』という国際法を取り出した。



刀からピストルへ。そしてピストルから国際法へ。

歴史を俯瞰でとらえて、

その上で、旧習にしばられずに合理的な選択をする。



竜馬もまた、空海に劣らぬ「合理主義者」だったのだろう。


今の時代に生きていたら、きっと

秋葉原で最新OA機器でも買いあさっているかもしれない。




竜馬には“日本”という大きな視点があった。

だから“土佐藩”という小さなものへのこだわりがなかった。



これを現代に置き換えた場合、

“日本”という小さなスケールではなく、

“地球”というスケールが必要なのだろう。


世界規模、地球規模の視点をもって初めて、

大事を成し得るのだろう。



内面と外面は半比例する。


これは、自分の内面に自信があれば、

あえて自分を大きく見せようとする必要はなく、

着飾る必要がなく軽やかである。


逆に、内面に自信が無い人は、

自分を大きく見せようとして

威張ったり、名刺の裏にたくさんの肩書を書いたりする傾向が強い。



僕は試合において、相手が自分の事をなめてるなと思ったら、

あえて目を合わせないようにしている。


するとますます相手が調子に乗ってくるのがよくわかる。

そうして、相手の足元をすくう。


逆に相手が自分の事を警戒しているな、

という時には、あえて相手の目をしっかりと見つめて、

よりプレッシャーを与えようと考えている。


要するに心理戦ということなのだけれど、

本当に強い人はそんなことは必要ないのだと思う。



自分に自信があって、自分の強さを信じることができる人は、

あえて戦う必要もない。

そういう人こそ最強の人なのだろう。



――― 幸福論より抜粋 ―――





私は、小中と喧嘩ばかりしていて、

強い奴が一番カッコいい。

と思っていました。



そして、将来どうするか?

ということを考える時期に差し掛かった時に、

ボクシングの世界チャンピオンになろう。

そう思ったのです。


理由は単純で、世界チャンピオンになれば

世界一強いと公認されるから。


腕一本でのし上がる。

そんな実力だけが正しく評価される世界がいいと思った。



サラリーマンになって、

上司や社長にごまをする奴だけが出世できる世界。

そんなのにだけはなりたくなかった。



色々遠回りをしたけれど、

ボクシングではプロになって何戦かしました。


でも、なにか違和感があった。


武士の時代の事を考えても、

剣の稽古を存分にできるのは、

それなりに経済的に裕福であるからだという。



新撰組の近藤勇も沖田総司も、百姓の出であるが

それなりに裕福であったため

剣の鍛錬に励むことができたという。


経済状況が貧困に陥っているのであれば

稽古などと言ってられないからだ。


「ハングリー精神は、貧しいからこそ生まれる。」

等と言われるが、それは大間違いで、

物質的に餓えているのではなく

「世界チャンピオンになりたい」という気持ちに飢えている。

ということだと私は思う。


プロデビューしたのが確か26歳ぐらいだったかな。

ボクシングの世界では結構遅めです。


そして年を重ねるにつれて

自分の闘争本能が薄れていく気がした。

幸か不幸か、性格が丸くなってきたのです。


色々な葛藤がありました。


血の気が多かった、あの頃だったらよかったのにな。



だんだん、自分の中で

強いとは何か。

本当の強さって喧嘩が強いだけなのだろうか?


そんな気持ちがぐるぐるし始めました。


答えをみつけようという本能からなのか、

もともと興味のあった、

戦国武将の本を読んだり、ネットで調べたりして

すごく勉強しました。


戦の事や、大将としての考え。


個人レベルの喧嘩から、

軍隊としての戦、大将としての戦い方。


初めは戦や武士道に共感し、

興味をもったのがきっかけでしたが、

歴史を深く学んでいくことで、

そこからバッと視野が広がったのです。


政治のことや国のこと。

ビジネスのこと、経済のこと。



そして、さっきの須藤元気の言葉にあったように、

本当に強い人は、戦って勝つということより、

戦うことは必要のないことのように思えてきた。



そして強いとは、自由であること。

誰かに強制されずに自分で選べることなんだと。


それには経済的にも自由でなければならない。

そう強く思った。



それまでは、腕一本。

喧嘩の強さ、地位や名声ばかりを重要視し、

追い求めていた私でしたが、

竜馬よろしく、

「これからはインターネットを取り入れたビジネスをやるべきだ!」と、

インターネットを使ったビジネスに着眼し、

経済的にも時間的にも自由になるためには

これが一番だと確信し、

本格的にネットビジネスに取り組んでいくのでした。


それは私の中で、まさに革命でした。



この時、真剣にビジネスや経済というものについて

考え出していた時でした。



夢見ていたボクシングをいったん置いておいて

真剣にビジネスをやってみようと決心したのです。


穀蔵院、28歳の春でした。



【つづく】

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