何事にも、
『準備』というものが
肝心です。
ビジネスにしても、コピーライティングにしても
はたまた人生においても、準備が肝心であり、
準備をしっかりと行った者と、
そうでない者には
結果に大きな差が生まれます。
準備がいかに大切かということを
肝に銘じてもらうために
ひとつ逸話を紹介します。
江戸時代初期に、
左甚五郎という伝説の彫刻職人がいました。
日光東照宮の眠り猫や
上野東照宮の竜などが
彼の作品だと言われています。
そんな伝説の名匠、
左 甚五郎のエピソードです。
江戸の町で、
大工が仕事をしているところに
一人の男が、じーっと立っていました。
左 甚五郎です。
「江戸の大工は、どいつもこいつも仕事が半人前だなあ、
一人前なのは飯だけか」
ぼそっとつぶやいた
その声が大工たちの耳に入りました。
「なにをぉ、この野郎~!」
甚五郎はよってたかってボコボコに殴られました。
「おめえら、何やってんだ!」
そこに現れたのは大工の棟梁です。
「おめぇら、なにやってやがる。
ここで仕事をしろ、たぁ言いつけてあるが、
人をなぐれたぁ言ってねえぞ!」
「この野郎があっしらの仕事が下手だの、
なんだのって言いやがるんですよ」
「馬鹿野郎!ひとりを大勢でよってたかって
タコにする。。それが男のやることか!」
「す、すいません…」
「…ん、ちょ待てよ!
てこたぁ、おまえさん大工かい?
このへんじゃ見かけねえな?」
「上方(京都)で番匠(ばんじょう=大工)をやってました」
「上方の大工さんかい、上方といやあ、
伝説の名人、左甚五郎先生だなあ!
あったことねえのかい?」
甚五郎は少し恥ずかしくなって
「ない」と答えました。
迷惑かけたお詫びだと、
棟梁の家に招かれて
晩メシを御馳走になることになりました。
「ウチは今見てのとおり
忙しくってよ、よかったらお前さん手伝ってくんねえか?
給金ははずむからよ」
甚五郎は、しばらく江戸に滞在することになってたので、
自分にも非があったなという思いと、
手持ちの銭が寂しくなってきていたことから
仕事を手伝ってやることにしました。
翌朝、板を削ってくれと頼まれていた甚五郎は
カンナの刃を研ぎだしました。
「シャーッ、シャーッ、シャーッ」
と、ひたすら研ぎ続けます。
「いつまで研いでやがんだ。
俺なんてもう十枚は削ったぞ」
小僧がボソっと言います。
板削りなんてのは小僧の仕事です。
他の大工たちは、
昨日自分たちに大口をたたいた、
甚五郎の腕前がどんなものなのか、
上方の大工がどんなものなのか
内心気になっていました。
甚五郎は、
3時ごろになって、やっと板を削り始めました。
甚五郎が削った2枚の板は
重ね合わせると、
ピタリと吸いついて離れない。
表面に1点のくぼみもないからです。
小僧が引きはがそうとしても
ピクリともしません。
これがどんなにすごいことか、
大工たちには解っています。
その仕事のあまりの見事さに
目を見開いていました。
この男こそが、伝説の名匠
左甚五郎なのではないか、と
江戸の大工たちは
うっすら気付き始めたのでした。
他の大工が削った板を見て
甚五郎は言いました。
「こんな出来損ないの板じゃあ、
便所の壁にしかならないよ」
と。
左甚五郎という人は、
口の悪さ(性格の悪さ?)が災いして、
たびたびトラブルを起こすことがありました。
ですが、大工(彫刻)の腕は超一流です。
そんな一流の職人が
一番重要視し、時間をかけたこと、
それが『準備』でした。
名人と呼ばれる人ほど
準備を入念におこないます。
一方、雑な仕事しかできない者ほど
すぐに結果を欲しがります。
人生にも同じことが言えるのではないでしょうか。
『大器晩成』
私の好きな言葉です。
例え今は芽が出なくとも、
それは大成するための準備段階。
後ででっかい花を咲かせるためにあるのです!
このことを肝に銘じ、
また辛くなった時には
このお話を思い出してください。