天下人、豊臣秀吉に認められ、
天下御免のかぶき者となった、前田慶次。
天下人が相手でも臆することなく
意のままにかぶき通した前田慶次が、
唯一尊敬の念を抱いていた人物がいた。
会津の上杉景勝である。
前田慶次が京都で浪人生活をしている時だった。
天下人、豊臣秀吉が聚楽第に
諸大名を集めて、宴席を開いた。
宴もたけなわ、慶次が舞を披露することとなったが、
その姿に一同は唖然とした!
猿の面をつけ、手ぬぐいでホッカムリをし、
猿の真似をしながら猿舞を舞ったのである。
何がいけないかというと、
ご存知の通り、豊臣秀吉は
猿面冠者と呼ばれるほど猿に似た面をしている。
慶次の猿舞は、完全に秀吉をおちょくるためにやっているのだ!
そして並んでいる名だたる大名たちの膝の上に
「ちょこん」と腰掛けて猿真似をする。
天下人である秀吉の前では笑うに笑えない。
「さて、大名と呼ばれる大物共が、
ワシが秀吉の前で猿のモノマネをして
膝の上に座って回ったら…
どんな態度をするか見ものじゃわい…」
多分慶次はこんな気持でやったのであろう。
猿のようにおどけた仕草で諸大名の顔色を覗きこむ。
秀吉は大笑いしているが、大名たちは怒り心頭。
『かぶき御免』の慶次を無礼打ちにもできない。
宇喜多秀家、徳川家康、前田利家と
名だたる大名に臆することなく
次々に回っていく。
ところが、上杉景勝の前まで来た時
ひょいと順番を飛ばした。
慶次は後に、こう語ったと伝えられている。
「上杉公のみ尊気犯すべからず」
上杉景勝は侵しがたい風格が漂っていて、
どうしてもその膝には乗ることができなかったという。
「天下広しといえど我主とすべきは上杉公のみ也」
武勇に優れた前田慶次には、
色々な家から仕官の依頼があったが
その全てを断ったという。
もし我が主とするなら、こんな漢だ!ということを言ってるのだ。
上杉景勝は義の武将。
同じように義を重んじる慶次は
その人物の本質を、鋭く見抜いて
共感できる何かを感じ取ったのであろう。
のちに、慶次は上杉家へ仕官することとなる。