タイトルにもあるように、私は元不良だ。

小学校の時から四六時中喧嘩のことばかり

考え、中学の時は、

「ビー・バップ・ハイスクール」の影響で、

ボンタンに短ブレ、リーゼントといった出で立ちで、

他の中学校に一人で乗り込み喧嘩して

名前を売ることに命をかけていた。

よく、元不良という触れ込みで

登場する方がおられるが

「元不良が~」という物語を作るために

盛っている、いわば偽物も多くいる。

自分で自分のことを元不良だのと

言うこと自体が恥ずかしいのだが、

私が喧嘩ばかりしていた、ということを知っていただかねば

次の話に進まないからご容赦願いたい。

何の話かというと、憲法9条についてだ。

私は争いの中で、

最大のものが戦争で、

最小のものが一対一の喧嘩だと思っている。

だから、戦争について考える時に

もっと視点を小さくして、喧嘩で考えれば

とても分かりやすいと思う。

この前、TVである元政治家(80歳ぐらいの方)が、

「私は今まで生きてきて一度も

 人を殴ったことがないし、殴られたこともない」

と言っていた。

確かにこれは素晴らしいことだ。

彼は続けて、

「だから、日本は戦争しないという憲法9条は

素晴らしいものであるー!」

一同:「パチパチパチーーー!」

となった。

これには私は納得出来ない。

喧嘩もしたことがない奴が、

本当に戦争のことを解るのだろうか?と思うからだ。

殴られたことのない奴が

殴られた時の痛みや恐怖、

戦うことの勇気がわかるのだろうか?

殴ったことのない奴が、

逆に殴った方も手が痛かったり、

心が痛くなったりもするのだということ

がわかるのだろうか。

喧嘩と一口に言っても、そうなるまでのプロセス

因果関係が必ずある。

例えば、

誰かを守るために戦う、

勇気の結果なのか、

只の弱いものイジメなのかでも違ってくる。

また、一方的に言いがかりをつけてくる奴もいるし、

いきなり襲いかかってくる奴もいる。

暴力によって支配することに

快感を覚えるタイプの輩もなかにはいる。

本当に色んな奴がいるものである。

こういった経験が一つもない人間に、

どうして喧嘩の最大級、戦争のことが語れるのか?

私が9条論者を見ていて

常々思うのことがある。

それは、喧嘩は一人でなく、

相手がいてはじめて起こるということだ。

だから、「僕は喧嘩しません!手を出しません。武器も持ってません」

と宣言したところで、

相手が自分と必ず同じ考えで

「わかりました。じゃあ武器を揃えた

強そうなやつからカツアゲして来ますね」

とは勿論ならないだろう。

戦争の場合、どっちのが強いかの勝負を

してるわけではないから、

カツアゲみたいなもんだとイメージすればいい。

特にイメージして欲しいのが、

自分と同じ文化で、よく似た考えを持つ

日本人同士の喧嘩ではなく、

違った文化や思想をもった外人との喧嘩であるということ。

そんな連中にグルーっと囲まれて、

「Hey! Yo!Yo!Fuck You,Comeon!
 (おい、何さっきから見とんじゃ、ちょっとこっち来い)」

と言われ、

「は、僕は見ていません。暴力反対です」

と言ったところで、この連中の目的は

カツアゲなのですから、

「Money!Money!(とりあえず金だせや)」と言われるでしょう。

「イヤです!僕は無抵抗です。武器も持ってません」

と言ったところで、

「N—ice!! Fuck’in Bich!! (そら丁度ええわ。どついたるし、じっとしとけや!)」

そして彼はボコボコにされた挙句、

有り金を全て巻き上げられるのです。

憲法9条ってこういうことではないのか?

世界中の国がこの考えで、この憲法を掲げているのであれば

機能するだろうが、一方が掲げていても、

もう一方が「そんなん関係あるかい!」と言えば

関係なくなるのである。

憲法9条はアメリカという強大な軍事力を頼って

「僕はやらないけど、僕に手を出したらジャイアンが出てくるよ」

といってるスネオみたいなものではないか?

と、私は思うのだが、あなたはどうだろう?

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